新しいポメラが見させてくれた夢
前回の記事の追記で書いたように、新しいポメラを親指シフトの外付けキーボードとして使うことはできないようです。
これを残念だと思ったのは私だけでないようで、ツィッターではバブル崩壊とかお通夜モードといった声も出ています。
まあそこまで言うつもりはないですが、残念な気持ちはたしかにあります。それがどうしてかというのを少し考えてみました。前回の記事にも少し書いたのですが、もう少しそれを拡大して、親指シフトの歴史の中での位置づけ(大げさな)をしてみようと思います。
これは何回も言っているのですが、親指シフトが使えるところはずっと拡大しています。親指シフトが誕生したワープロ専用機の時代はそうではありませんでした。親指シフトを使うことは事実上、富士通のOASYSを使うことでした。これを模式的に示すと以下の通りです。

ここで網がかかっているのが親指シフトを使えるところです。
現在はUSB親指シフト専用キーボードと各種のプログラムを使うとどのOSでも親指シフトを使えるようになりました。ただし、OSごとに日本語入力プログラムは違うため、OSを変えると使い勝手も変わるところがあります。これは次のように表せるでしょう。

網がかかった、親指シフトを使えるところは全部に広がっています。色がついているところはユーザーにとって同じ使い勝手となることを示しています。つまり、親指シフトキーボードというハードウェアは共通に使えますが、共通性はIMEまでは広がっていない(図でいえば色がついていない)ことになります。
それでは新しいポメラがもし、親指シフトでの外付けキーボードとして機能したとするとどうなるでしょう。おそらく、次のようになるでしょう。共通の使い勝手となる部分(色付き)はIMEまでひろがっています。

ヒューマン・インターフェースというものは使う人にとって一貫したものが望ましいと考えられます。一方で、さまざまなプラットフォーム(例えばOS)はそれぞれ得意のものがあるので、いろいろなプラットフォーム上での使い方を知っているとできることが拡大します。
一つのプラットフォームでしかできないことがあれば、そのプラットフォームでの仕事のし方を覚えなければいけません。しかし、プラットフォームによる作法の違いはユーザー・インターフェースの部分にまで影響を及ぼさないようにすることが望ましいのです。
新しいポメラを外付けの親指シフトキーボードとして使うという夢(残念ながら今回は実現していないのですが)の底にはヒューマン・インターフェースというものの本質があるのです。
これを残念だと思ったのは私だけでないようで、ツィッターではバブル崩壊とかお通夜モードといった声も出ています。
まあそこまで言うつもりはないですが、残念な気持ちはたしかにあります。それがどうしてかというのを少し考えてみました。前回の記事にも少し書いたのですが、もう少しそれを拡大して、親指シフトの歴史の中での位置づけ(大げさな)をしてみようと思います。
これは何回も言っているのですが、親指シフトが使えるところはずっと拡大しています。親指シフトが誕生したワープロ専用機の時代はそうではありませんでした。親指シフトを使うことは事実上、富士通のOASYSを使うことでした。これを模式的に示すと以下の通りです。

ここで網がかかっているのが親指シフトを使えるところです。
現在はUSB親指シフト専用キーボードと各種のプログラムを使うとどのOSでも親指シフトを使えるようになりました。ただし、OSごとに日本語入力プログラムは違うため、OSを変えると使い勝手も変わるところがあります。これは次のように表せるでしょう。

網がかかった、親指シフトを使えるところは全部に広がっています。色がついているところはユーザーにとって同じ使い勝手となることを示しています。つまり、親指シフトキーボードというハードウェアは共通に使えますが、共通性はIMEまでは広がっていない(図でいえば色がついていない)ことになります。
それでは新しいポメラがもし、親指シフトでの外付けキーボードとして機能したとするとどうなるでしょう。おそらく、次のようになるでしょう。共通の使い勝手となる部分(色付き)はIMEまでひろがっています。

ヒューマン・インターフェースというものは使う人にとって一貫したものが望ましいと考えられます。一方で、さまざまなプラットフォーム(例えばOS)はそれぞれ得意のものがあるので、いろいろなプラットフォーム上での使い方を知っているとできることが拡大します。
一つのプラットフォームでしかできないことがあれば、そのプラットフォームでの仕事のし方を覚えなければいけません。しかし、プラットフォームによる作法の違いはユーザー・インターフェースの部分にまで影響を及ぼさないようにすることが望ましいのです。
新しいポメラを外付けの親指シフトキーボードとして使うという夢(残念ながら今回は実現していないのですが)の底にはヒューマン・インターフェースというものの本質があるのです。
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